最近、舞台が始まった『千と千尋の神隠し』。
今回は、その中でも謎の多い「カオナシ」について、
深掘りをしていくよ!
ちなみに、筆者は映画館で見た時千尋と同じ10歳でした。
カオナシに追われるシーンが怖すぎて、一回外に出てます…。
カオナシというキャラクターを理解することには、現代社会に生きる私たちへのヒントがあると思います。
どういうこと?と思ったあなたはぜひ、最後まで記事をご覧ください!
目次
カオナシ誕生秘話
元々は登場しない予定だった
監督である宮崎駿の構想には、カオナシは登場していませんでした。
元々の話では、千尋は湯婆婆と戦い、なんとか勝つ。
でも更に強い姉の銭婆がいて…という冒険活劇が主な内容だったそう。
でも、「それでは3時間を超えてしまいますよ?」とプロデューサーの鈴木敏夫に指摘され、
油屋の橋の欄干にいた、当時は名前すらなかったカオナシを抜擢する案が浮上したのです。
カオナシは裏の主人公
え?主人公は千尋でいいとして、
裏の主人公はハクじゃないの?と思う人がほとんどだと思います。
私じゃないのか…?
でも、実際の数字として
画面に写っている時間はカオナシがNo2なんです。
そして、主人公には「変化」がつきものよね?
千尋は、油屋で働く内に「生きる力」がどんどん呼び醒まされ、
映画の始めと終わりの表情には見違える程の「変化」があります。
カオナシも、後述しますが、自分の境遇から「変化」をして、
最後には銭婆の所に収まります。
一方のハクは、千尋に対しての一途な様子で一貫しており、
あまり「変化」がないのです。
以上から
- 画面上の時間が長い
- 物語の中で「変化」がある
の2点で、カオナシは裏の主人公であるといえます。
実際、大人の人が見ると、千尋よりも感情移入しやすいと思います。
この後の話でより、そう思えるのではないでしょうか。
現代社会のカオナシ
カオナシは単純に悪いやつなのか?
プロデューサーの鈴木敏夫さんは次のように語っています。
『「もののけ姫」のときから感じていたことですけど、単純な勧善懲悪の物語では、もうお客さんは呼べない時代になっていました。娯楽映画にも哲学が必要な時代になっていたのです』
カオナシがただの悪いやつで、それをみんなでやっつける。
という話は、とても単純明快です。
映画を観てる時にはスカッとするでしょう。
でも逆に言うとそれだけです。
やられた〜って感じにね。
カオナシは人間の弱さ
カオナシというキャラクターは単純な悪ではなく、
人間誰しもが抱えている「真っ黒な」「弱い」「負の」部分を具現化した姿として描かれています。
だからこそ、カオナシにはある種の共感を持つことができます。
カオナシの特徴
今回はカオナシの特徴を2つに絞って話したいと思います。
- 仮面をかぶっている
- 「あ…」としかしゃべれない
についてです。
あ…あ…。
完全にコミュ障やんね。
簡単に現代社会に生きる私たちと照らし合わせてみましょう。
仮面をかぶっている
カオナシは仮面をかぶっており、文字通り「顔」はありません。
これを「顔がない」=「現代社会の匿名性」と見ることができます。
しかも、千尋からの「どこから来たの?」の問いかけに対しては、
カオナシは答えられず、逃避する動きを見せ、その後千尋を食べようとします。
これも、ネット社会で身分を明かさずに誰かを攻撃している人と重ねて見ることもできます。
攻撃をしているその人自身は、自分が何者なのか分からなくなってるんですね。
「あ…」としかしゃべれない
これだと、先ほど言ったようにただのコミュ障なのですが、
カオナシというキャラクターは他の人の口を使って喋ります。
土くれで作った偽の砂金を餌にして、青蛙を飲み込む。
千尋を悪く言ったことを正義の盾にして兄役を飲み込む。
その自分以外の人の口を使って饒舌にしゃべります。
そして、段々と自分自身を見失っていくのです。
みんなでカオナシと向き合う
じゃあ、そんな中でカオナシとどう向き合っていけばいいんだ!
という問いの答えは、映画の終盤にあります。
カオナシの最後のシーンは、銭婆の家で編み物をしている所です。
注目したいのは、
誰の力を借りることなく、
土くれで見せかけの力も使わず、
自分の手で、自分の意思で編み物をしている所です。
ネット社会の中、たくさんの情報を飲み込みすぎて、自分を見失わないように。
結局、自分の居場所は、誰か人の力を使ったりするのではなく、
自分の力で作っていかないといけないんだなと思わされます。
現代社会を生きるヒントがここにあるのかもしれませんね!
参考文献:ジブリの教科書12 千と千尋の神隠し