ジブリ作品のタイトルは、見るとその内容が分かるものが多いです。
『となりのトトロ』や『ハウルの動く城』など
主人公がタイトルに入っているものが特に多いですね。
その中で『耳をすませば』というタイトルは、とても抽象的なタイトル名です。
映画内で「耳をすます」ようなシーンもないですよね?
なので、今回はその由来について調べてまとめてみました!
目次
『耳をすませば』には少女マンガの原作がある
『耳をすませば』は原作となった少女マンガがあります。
原作者は柊あおいさん。
マンガの『耳をすませば』は1989年に描かれた作品です。
当時の柊さんは集英社の少女漫画月刊誌『りぼん』で活躍されていました。
初連載作品であった『星の瞳のシルエット』が大ヒットし、次の連載作品が『耳をすませば』でした。
しかし、原作は不人気でたった四回で終わってしまいます。
当時のことを作者の柊さんはこう語っています。
ーーでも原作は不人気だったとか
柊 そうなんです。たいていの少女マンガが主観的で、「好きだ、嫌いだ」という気持ちの問題に終始しているのは、読者がそれを好むからであって、そういう読者に違うものを描いて見せても、受け入れられないということなんでしょう。
『ジブリの教科書9 耳をすませば』より「対談 近藤喜文(監督)&柊あおい(原作)」から抜粋
ここから、『耳をすませば』は単純な人の好き嫌い以外のものにも焦点を当てた作品であることが分かります。
でも、この他の要素があったからこそ、ジブリで映画化することになったのだと思います。
ちなみに柊あおいさんは『猫の恩返し』の原作となる『バロン 猫の男爵』も描かれています。
ジブリでは他にも『コクリコ坂から』も少女マンガが原作なので、
割と、少女マンガから制作をしていることが分かりますね。
『耳をすませば』というタイトルは内容と直接関係はない
先ほど引用した対談の中で、タイトルの意味について柊さんが仰っていました。
これを見てみましょう。
近藤 なるほど。『耳をすませば』というタイトルには何か意味があったんですか?
柊 いえ、特には。ただ少女マンガのタイトルって、一般的にちょっと恥ずかしくなくて、耳に聞いて心地がいい、忘れないものにしようと考えまして、日常のいろんな言葉の中から、『耳をすませば』なんてどうかなって思って付けたんです。
『ジブリの教科書9 耳をすませば』より「対談 近藤喜文(監督)&柊あおい(原作)」から抜粋
確かに、一度聞いたら何となく覚えられるようなタイトルですよね。
しかし、内容との関連付けは特にはないようです。
もしかすると、当初の構想にはタイトルの“伏線”を回収する描写があったのかもしれません。
しかし、先ほどの通り原作は4回で打ち切りになってしまいました。
これによって、タイトルの“伏線”は残ってしまったのでしょう。
では、タイトルと内容は何も関係がないのでしょうか?
「耳をすます」と内容に関連はあるのか
何も関連がないという結論で終わっても良いですが、ここで少し推察をしてみましょう。
柊さんは次のようにも語っています。
柊 『耳をすませば』っていう言葉の中にはいろんな意味がありますから、どんなふうにこじつけても形になるかなっていうのはありましたけど。
『ジブリの教科書9 耳をすませば』より「対談 近藤喜文(監督)&柊あおい(原作)」から抜粋
直接の関係はないけど、“こじつける” まですると関連が出てくるのでは、と思い調べてみました。
「耳をすます」には、
聞こうとして、注意を集中する
という意味があります。
ここに注目して映画を見ると、
少女マンガは「偶然」によって物語が動くことが多いですが、
『耳をすませば』は主人公の雫が集中して周りを見た結果、物語が動くことが多いことに気づきます。
- 二人の出会いとなった貸出カードに毎回、天沢聖司の名前があることに気づく。
- 「偶然」で物語を書くのではなく、書籍などで調べに調べて書いていく。
どちらも、物語の大事な動きの部分ですが、どちらも「偶然」ではなく、
雫が集中して見たり、頑張ったりすることで物語が動いていきます。
本当に大事なことは、
感覚を研ぎ澄ます
集中して頑張る
耳をすます
ことで、成功を自分で掴んでいくことだと思わされます。
ジブリ作品で、タイトルはみんな知っているので、その由来までは考えない人も多いと思います。
でも、こうした物語とのつながりを考えることで、より作品が理解できるのではないでしょうか。