宮崎駿監督の映画には巨大な力(今回「兵器」と呼びます)を持った存在が度々登場します。
その「兵器」と相容れないはずの「心」を合わせ、物語を紡いでいるシーンを今回は紹介していき、
また、その変遷を追っていきます。
宮崎監督作品を理解する上で、面白い視点だと思います!
最後までぜひご覧ください!!
目次
「兵器」に心が芽生える
兵器①人型の兵器 巨神兵
最初は『風の谷のナウシカ』より「巨神兵」です。
ナウシカには戦車のような分かりやすい兵器も出てきますが、
人型の兵器という立ち位置で登場します。
- クシャナの命令を聞く
- 2回目の攻撃の際に苦しそうに見える
の2点に若干の人間味を感じられます。
ただ、「心」があるようには余り見えませんね。
兵器②ラピュタのロボットに心を見る
『天空の城ラピュタ』には2種類のロボットが登場します。
↓詳しくはこの記事もご覧ください!↓
簡単にいうと攻撃のロボット兵と、草花や生き物のお世話をする園庭ロボットがいます。
ロボット兵は「兵器」の要素を持っていますが、
- 破壊される前にシータへ手を伸ばす
シーンから「忠誠心」のようなものを見れますし、
園庭ロボットには次の2つのシーンから「心」のようなものを感じます。
- 鳥のタマゴを守ろうと上のものを避ける
- シータに花を伸ばす
それでも、あくまでプログラミングされた行動ではあります。
強い力を持っている「兵器」が、生き物でないことの表現の限界があるように思います。
人の中に「兵器」がある
宮崎作品中期(私が勝手に呼んでます)では、
「兵器」の力を人の中に組み込み
人がその力を克服しようとする
様子が見られます。
さらに、これ以降「兵器」と「心」の問題は主要キャラが背負うことになります。
兵器③アシタカと呪い
『もののけ姫』のアシタカについて考えてみましょう。
アシタカは物語の序盤にタタリ神を討ったことで、右手に呪いをもらいます。
呪いによって、アシタカの力は人間離れしているため、これを「兵器」としてみます。
「兵器」は度々暴走しますが、
- 「兵器」を何とか理性で抑え、鎮めるシーン
- 「兵器」の力を利用して、敵を討つシーン
の両方があります。
また、アシタカのセリフで「兵器」をタタラ場の人たちに見せた時に、
『身のうちに巣食う憎しみと恨みの姿』
と言います。
つまり、「兵器」はそういった人間の闇の部分として監督は表現し、
その闇をどう克服していくのかを描こうとしているのです。
でも、アシタカは自分で克服はできず、シシ神によって「兵器」を弱めてもらう形で映画は終わっています。
兵器④ハウルと魔法
『ハウルの動く城』の魔法使いハウルも見てみましょう。
ハウルは悪魔と契約した強力な魔法使いです。
昔、先生であった王宮魔術師サリマンから国家の「兵器」として召集されます。
でも、ハウルは戦争を嫌い、これを断ります。
- 「兵器」は自分の周りのものを守るために使う
- 「兵器」を使う程に、人でなくなっていく
アシタカと同じくここに葛藤があります。
そして、ハウルは宮崎作品で初めて、「兵器」から解放されます。
ソフィーに悪魔の契約を解いてもらい、「兵器」から人間に戻ることができたのです。
愛じゃよ。愛。
いや、冗談ではなく「兵器」、すなわち
「人間の闇」に打ち勝つのは「愛」の力
ということになるのでしょう。
そして「兵器」は人になる
中期では、あくまで人が「兵器」となり、それを克服していく流れでした。
最後に、「兵器」が心を持ち、人となるキャラクターを紹介します。
兵器⑤漫画版の巨神兵は心を得る
兵器①で、巨神兵を紹介しましたが、『風の谷のナウシカ』には漫画版が存在します。
そして、漫画版が完結するのは1994年と、『もののけ姫』以前ではあるのですが、
映画の『風の谷のナウシカ』公開よりは大分後になります。
そして、巨神兵の結末も大きく違ったものになっています。
漫画の終盤でナウシカは巨神兵の母となり「オーマ」という名をつけます。
そこからは、巨神兵は「兵器」を持ったまま、「人」に近づいた存在になります。
ここでもナウシカの愛が「兵器」に心をもたせたように見えます。
筆者の見解では、ここで宮崎監督の中に、
兵器と心の結論が出たのかと思います。
兵器⑥そしてポニョは人となる
最後に『崖の上のポニョ』です。
宮崎監督の中には結論が出ているので、構図としては分かりやすい作品だと思います。
ポニョは父のフジモトがずっとためていた魔法を解放し、
自身も大きな力を得て「兵器」となります。
しかし、ポニョの母であるグランマンマーレ、リサ、そして宗介(フジモトも)の「愛」で、
人となりエンディングを迎えます。
まとめ
どうだったでしょうか?
結論としては
「兵器」と「心」を結ぶには「愛」が必要不可欠だ
ということですが、私たちに置き換えると
「心の中にある闇」を晴らすのは「愛」だ
ということになるでしょうか。
人間、誰しも人間関係、学校、仕事などで辛いことがあります。
でも、周りを見てください。
きっと見えていないだけで、自分に「愛」を、
「心」を取り戻してくれる存在がいるはずです。
おわり。