【ジブリ考察】「人」と「自然」の共存する道が示されていた?

ジブリ作品を観ると「自然を大切にする」という大きなテーマを感じませんか?
今回は、作品を年代順に見た時に関係する部分をピックアップしてみました。

そうすると

  1. 「自然と人の戦い」➡︎『平成狸合戦ぽんぽこ』
  2. 「戦いの後」➡︎『耳をすませば』
  3. 「自然と人の共生」➡︎『もののけ姫』
  4. 「人も含んでの自然」➡︎『借りぐらしのアリエッティ』

という1つの流れがありましたので、解説していきたいと思います。

『ぽんぽこ』で開発された街

1994年に公開された『平成狸合戦ぽんぽこ』

この作品からキーワードになるのは、

多摩ニュータウンの開発

です。

物語の中で「自然」側の狸たちは「人間」の開発を何とか止めさせようとします。
工事現場に化けて出てみたり。
時には強硬手段に出てみたり。

しかし、狸たちは戦いに敗れ、
多摩の山は削られ、
開発は止められずに進んでしまいます。

そして狸たち「自然」側は生活の場を狭められ、
散り散りになってしまうのです。

人間にとって都合のいい開発が、自然を苦しめている

という社会風刺がなされている作品でした。

『耳すま』は『ぽんぽこ』のその後

『耳をすませば』は『平成狸合戦ぽんぽこ』の翌年1995年に公開されました。
物語の舞台として『ぽんぽこ』で開発された後の「多摩」が描かれています。

あにます
あにます

意外なつながりがあったのですね!

開発された多摩が舞台になっているのは分かりましたが、
どこかに自然との関わりの描写があったでしょうか?

ここで、主人公の雫が友達に冗談で見せた『カントリーロード』の歌詞を見てみましょう。

コンクリートロード どこまでも

森を伐り 谷を埋め

West 東京 Mt.多摩

故郷は コンクリートロード

(ちなみにカントリーロードの歌詞についての詳しい考察はこちらでしています。)

これは『ぽんぽこで開発された多摩』を意識している歌詞だと思います。
普通の中学生はこんなに風刺の効いた歌詞を書かないと思いますので、
物語の流れとは関係なく、入れてあるのだと思います。

私たちが何不自由なく暮らしているこの町は「自然の犠牲」の上で成り立っているということですね。

『もののけ』で示された一つの道

このままだと、「自然がなくなって残念だったね。」
という話になってしまうのですが、
『耳をすませば』の次作、1997年公開の『もののけ姫』で、
この問題に関するアンサーをしていると筆者は思います。

双方の生きる道を探すアシタカ

主人公のアシタカという存在が「自然」と「人」を結ぶ役割を担っています。

『森とタタラ場、双方生きる道はないのか』

このセリフが象徴的かなと思います。

戦うのではなく
どちらかが我慢をするのでもなく

という道をアシタカは最後まで模索しています。

タタラ場は生きていくために木を伐る。
モロの一族はこれに抵抗をする。

「自然」と「人」の争いの軍配は、結局どちらにも上がりませんでした。
シシ神という神様が全てを吹き飛ばしてしまうのです。

『借りぐらし』の精神で生きていく

『ここをいい村にしよう』

最後にタタラ場のエボシが言うセリフですが、ここでいう「いい村」とは何でしょう?
それは、以前の、森を燃やし木を伐採することではないと思います。

また、サンも次のように言っています。

『ここはもうシシ神の森じゃない』

確かに「自然」の中に「人」が入ることで、元の自然ではなくなります。

ただ、人が元ある自然を自分たちのいいようにただ作り変えてしまうのではなく、
人も含んだ「自然」として、両方ともが「共存」するという道があるのではないか。
そんなメッセージを筆者は受け取りました。

そして、この道の次にあたるのが『借りぐらしのアリエッティ』だと筆者は考えます。
アリエッティたち小人は人間の住む家を困らせるのような住み方をしていません。
元からあった場所を壊すのではなく、居させてもらうという精神。

これを私たち人間に置き換えてみると
地球や自然に住まわせてもらってる
という考え方になりますよね。

環境問題がずっと言われ続けている昨今。
こういった意識で行動も変わっていくと思います。

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