千と千尋の神隠しには「海原電鉄」という電車が登場します。
筆者は、電車の中に千尋がいて、外の景色のネオンがどんどん出てくるシーンが大好きです!
このシーンは宮崎駿監督が『銀河鉄道の夜』を描こうとした事が知られています。
なので、今回は「海原電鉄」の謎を「銀河鉄道」の描写から考察して見たいと思います。
そう思うと「海原電鉄」と「銀河鉄道」はネーミングも似ている気がしますよね。
『千と千尋の神隠し』を見て不思議に思った部分が解決するかもしれません!
目次
電鉄なのに電線がない謎
まず、電車の見た目の話からです。
「海原電鉄」って電鉄と言いながら電線がないですよね?
これは、「電線があると背景がすっきりしないから」ぐらいに筆者は考えていました。
しかし、『銀河鉄道の夜』にも似たような状況が書かれていたのです。
「それにこの汽車石炭をたいていないねえ。」ジョバンニが(中略)云(い)いました。
「アルコールか電気だろう。」カムパネルラが云いました。
『銀河鉄道の夜』より
実際にはアルコールや電気で、汽車のようなものが動かせる時代背景ではありません。
こんな細部にも共通点があるのですね。
では、どうやって動いているのでしょうか?
筆者は列車に動力はいらないんだと考えました。
理由は後にして、先に他の謎にふれていきます。
謎の言葉『中道』について
「海原電鉄」の先頭車両には「中道」の二文字があります。
このペーパークラフト欲しい・・・
以前、千と千尋の謎の言葉を追う記事を書いていましたが、この言葉も謎ですよね。
電車の先頭車両に書いてあるということは終着する場所を示していると思われます。
言葉自体の意味を調べてみると
仏教の実践についての基本的な考え方で、対立または矛盾しあう両極端の立場を離れ、両極端のどれにも偏らない中正な立場を貫くこと。(中略)それを具体化するために八正道を説いた。(中略)日常的な観念やことばを超えたところに究極的な真理があり、それに達するために「すべてのものは空である」とみることが中道であるとされる。
『コトバンク 日本大百科全書』より
とありました。
次に、理解する材料を増やすために『銀河鉄道の夜』からもヒントを得ます。
主人公ジョバンニが持っている切符の描写に次のようなものがあります。
それはいちめん黒い唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したものでだまって見ていると何だかその中へ吸い込まれてしまうような気がするのでした。
(中略)
こいつはもう天上へさえ行ける切符だ。天上どころじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまでも行けるはずでさあ
『銀河鉄道の夜』より
この「おかしな十ばかりの字」は仏教の生命分類を表す十界
(如来、菩薩、縁覚、声聞、天人、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄)
の頭文字であるとされています。
そう、「中道」という列車の行き先と、「切符」という下車場所を示す言葉が、
どちらも仏教の用語なのです!
つまり、湯屋は神道の世界観だけど列車は仏教由来になる。
この辺りも考察できそうですね!
(この記事では煩雑になるのでしませんが・・・)
終着場所のヒントは赤のアンダーラインにありますが、この先で考察していきます。
列車の動力はいらない
この考察は筆者の妄想高めです。
2つの共通点として、先ほどの2つの引用から
列車の走っている場所、向かう先は現実世界と次元が違う
と考えられないでしょうか?
4次元空間というと、ドラえもんのタイムマシンのように『時間を行ったり来たりできる』ものです。
つまり、列車自体の動力はなくても、列車自体が次元を超えたものだから
移動しているように「見える」だけで実際には動いていない。
まだ分かりづらい話なので、もう少し続けます。
終着場所は「沼下」と「天上」
海原電鉄が通る駅名で分かっているのは次の通りです。
「南泉」「沼原」「北沼」「沼の底」
泉から沼へ行き、千尋たちの降りた沼の底を電車は通ります。
電車は下へ下へと向かっていますね。
これに対して、銀河鉄道は「天上」に向かっている。
汽車は上へ上へと向かっています。
この対比も意図的だと思いますが、面白いですよね。
でも2つの列車はそこが終着とは言っていません。
その先があるのです。
ここまでで連想されている方もおられると思いますが、
「天上」などの言葉からは「死」を想起させます。
仏教では「死は静かな本来の世界に帰っていくこと」とされています。
つまり、その「本来の世界」に列車は向かっていると考えられます。
死後の世界に生きたまま行くにはどれだけ移動しても辿り着けません。
なので、物理的な「電線」や「石炭」を必要としないのでしょう。
これが、動力を必要としない理由だと筆者は考えます。
なぜ「近頃は行きっぱなし」なのか
釜爺のセリフに「昔は戻りの電車があったが、近頃は行きっぱなしだ」とあります。
銀河鉄道も同じ描写があります。
この傾斜があるもんですから汽車は決して向うからこっちへは来ないんです。
『銀河鉄道の夜』より
と、線路の傾斜が急で反対からは来れないという設定になっています。
対して、海原電鉄では、行きっぱなしの理由は語られていません。
しかし、同じような設定があるのではないかなと考えられます。
「沼の底」の駅から急勾配で下に向かっていく設定とかがあれば面白いですよね。
まとめ
どうだったでしょうか?
『海原電鉄』と『銀河鉄道』にはたくさんの共通点がありました。
筆者が気づかなかっただけで、もっとあるかもしれません。
まだ読んだことがない方は是非、『銀河鉄道の夜』を読んでみてください!
より一層『千と千尋の神隠し』が面白くなると思います!