【ジブリ考察】千と千尋の神隠し2人の母親の関係を追う

映画『千と千尋の神隠し』では2人の母親が出てきます。
みなさんは分かりますか?

あにます
あにます

そう、千尋の母親と

坊の母親、湯婆婆ですね!

ジブリ映画の親子というと温かい家庭が多いですよね。
『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』を思い出すとイメージがつくと思います。
これに対して、『千と千尋の神隠し』の中で

  1. 親子関係はどうなのか?
  2. 2人の母親の違いや共通点は何か?
  3. 親子関係から何を伝えたいのか?

この3点について考えていきます。

2つの親子の関係性は?

荻野家はネグレクト

千尋のいる荻野家は断定まではできませんが、“ネグレクト” 気味です。
特に母親の関わり方には何か冷たいものを感じます。
例えば、トンネルの中で千尋が怖くて腕を掴むと

千尋そんなにくっつかないでよ。歩きにくいわ。

と言います。印象に残っている人も多いのではないでしょうか。
温かい家庭の親子の姿とは言い難いですよね。

その他にも、母親が喋る時に「目線が合わない」といった仕草もあります。
これも冷たいと感じる原因でしょう。

あえて、冷たく感じる表現をしているように思えますね。

湯婆婆は過保護

次に、湯婆婆の関わり方を見てみましょう。
コミュニケーションとして「ハグ」や「キス」が多用されています。
コミカルな感じで描かれてはいますが、明らかに “過保護” ですよね。

2人の母親の違いと共通点について

関わり方は対照的である

先ほどの関わり方を見ると、とても対照的に思えます。
荻野家の母は、自分から千尋と関わりを持とうとしていません。
対して、湯婆婆は度がすぎる程、過保護です。

対照的ではあるのですが、どちらも歪な親子に見えます。

次に、共通点を見ていく中で、その「歪さ」を探っていきます。

親子関係が希薄である

千尋のお母さんの方は、関わりを千尋と持とうとしていないことから、
親子関係が希薄であることは分かると思います。

では、湯婆婆は坊を溺愛しているにも関わらず希薄であると言えるのでしょうか?

実は、これには象徴的なシーンがあります。

何だい。その汚いネズミは?

これは、息子の坊が銭婆にネズミに変えられてしまった姿を見ての湯婆婆のセリフです。
子どものことを本当に愛しているのなら、姿が変わっても分かるはず
ここから、上部だけの愛ではないのか。実際には関係が希薄なのではないかと思うのです。

↓坊目線での考察はこちらです。

親子関係から伝えたいことは

『千と千尋』以降も家族関係は複雑化している

現代の家族の在り方はとても多様化しています
そして、映画はその観る人が共感できるものでなければいけません。

この『千と千尋の神隠し』を境にジブリでも家族関係が複雑化している様に思います。
例を少し挙げてみましょう。

『ハウルの動く城』

ソフィー、ハウル、マルクル、カルシファー、荒地の魔女、ヒン、カブ
と全く血縁も住んでいた所も違う人たちが1つ屋根の下で暮らしています。
家族の定義を考えさせられると思います。

『崖の上のポニョ』

主人公宗介の家は核家族です。
しかも父親は漁に出ており、ほとんど家にはいない。
一番気になるのは、母親の呼び方。

母親を「リサ」と名前で呼んでいますね。

『思い出のマーニー』

主人公の杏奈の母親は本当の母親ではありません。
この確執自体が、映画の主題の一つにもなっていますね。

『千と千尋』がジブリ映画のターニングポイント

『もののけ姫』までは「自然破壊」が大きなテーマのように思います。

これに対して、『千と千尋』以降では人と人との関わり、
特に「家族の在り方」が大きなテーマに変わっていったのではないでしょうか。

千尋のお母さん、そして湯婆婆の姿を見て、共感できる家庭が増えている現代。
そこにスポットを当てて映画を観る意味があると考えます。

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